その時

14:46、私はイベント会場にいた。建物は新しくて免震構造だそうで、まず倒壊の危機は無かったと思う。しかし、イベントホールはどうも建物からフロートしているようで、何かにつかまっていないと立っていられないという地震は生まれて初めての経験である。もちろん、イベントは即刻中止である。

慌てて外に出るとかえって危なかろうということで、しばらくは皆屋内で待機。技術の人間が気を利かせて、 ustreamで中継されているNHKのTV放送をプロジェクターで投影。おかげで状況が把握しやすかった。最近は携帯電話にワンセグチューナーが入っているから受信できるとはいえ、なるべく電力は温存したい。

電話は輻輳しているのか、発信規制がかかっているのか、ほとんどつながらなかった。地震発生直後はiPhoneでメールを送れず、やはりソフトバンクの3Gネットワークは貧弱なのか思った。 NTT Docomoのほうはあっさりとメールを送れたが、 iモードのトップページにアクセスしようとすると、なかなかつながらないことも。災害用伝言板に書き込みなどしているうちに、まず娘から、次に妻からメールが届く。どちらも無事で、徒歩で帰宅中とのこと。少したって、弟からもメールあり。写真付きで、倒れた本棚が映っていた。が、それ以外はたいした被害もなく、怪我も無し。自宅にいた息子と猫も無事とのこと。後は母親だが、メールは読めても、書けないよなあ。

たぶん職場では一、二を争う家の近さを誇るので、当然歩いて帰るつもりだった。もちろん、同じ方向の女性と同行するのだが、彼女のほうはオフィスに荷物があったり、宿泊先の手配なりで忙しい。結局、会場を後にしたのは18:30ごろだった。あとはまあ、普段バイクや自転車で走っている、勝手知ったる道である。同行女性が知っている道に出会うまでつきあっても、 1時間ほどで帰宅できた。途中で母親から電話があり、向こうも無事だとのこと。まあ、全員無事で何よりである。

で、帰宅すると一人多い。娘の同級生で綾瀬住まいの子だった。もう日も暮れているし、我が家に泊まっていくことに。池袋から歩いてきたので、結構疲れているようだった。温かい食事と、お風呂と、着替えと、布団と。避難所に比べれば雲泥の差で、大変ありがたいとお礼を言われた。まあ、一人くらいならね。

一服つけてから、ひっくり返った本棚の復旧。本をきちんと並べようとするといつまでも終わらないので、とにかく片端から突っ込んでおく。どうも南北方向に揺れたようで、倒れたのは本棚とラックが一つずつだったのは不幸中の幸い。サーバーも含めて、コンピュータはどれも無傷でいつも通りに動いていた。

本棚を戻した後は、 TV報道を皆で見ながら軽く食事。ライフラインが止まっていないというのも、ラッキーである。結構余震があるものの、普段とそれほど変わりの無い生活が送れる。しかし、余震と言うにはちと震源地があちこちにありすぎ。プレート三つが互いに複雑に影響し合っているんだろうなあ。